東南アジア/ASEAN

タイ東北部とラオスの歴史を紐解いてみる|「ラオス」「イサーン」の名称の由来も

ビエンチャン/ヴィエンチャン(ラオス)にある仏塔「タート・ルアン」
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本記事では、「イサーン(またはイーサーン/อีสาน/Isan)」と呼ばれるタイ東北部について見ていきます。

タイ東北部を語る際、「ラオス(ラオ)」は外せないため、まずは「ラオス」「ラオ」という言葉から紐解いていきます。

具体的にご紹介するのは、以下の内容です。

この記事で分かること

・『ラオス/ラオ』『ラオス語/ラオ語』の元々の意味
・ラオス語(ラオ語)の話される地域・話者人口
・タイ東北部の名称「イサーン/Isan」の由来
・タイ東北部「イサーン」・ラオスの歴史を紐解く

先に結論(ポイント)を言いますと、以下の通りです。

  • タイの東北部で話されているイサーン語は、タイ語の方言の一つと言われているが、実はラオス語の一種
  • その理由は、歴史的に見ると、両地域は一つの王国だった時期があり、同じ民族(ラオ族(*))が住んでいるから
  • 現在、タイ東北部とラオスとで国が分かれてしまったのは、フランスによる植民地化が原因

(*)ラオスの「ラオ族」は、ラオスの低地・川流域に住む民族。ラオスは多民族国家で民族数は大別して49と言われています。

出所:『ニューエクスプレス ラオス語』p.11

今から詳細を説明していきますので、宜しければ最後までお付き合いください。

『ラオス/ラオ』『ラオス語/ラオ語』の元々の意味

ビエンチャン/ヴィエンチャン(ラオス)の街並みビエンチャン/ヴィエンチャン(ラオス)の街並み

『ラオス』『ラオ』の元々の意味

『ラオス(Laos)』という言葉ですが、元々は、1899年にフランスに採用されたラオの複数形(「Lao」に「s」がついている)から生じた他称(=他人が決めた呼び名)です。

では、『ラオ』自体にはどういった意味があるのでしょうか。

「ラオ」という名称について

ラーンサーン王国(後述しますが、ラオ族最初の統一王朝のこと)が建国された頃、「ラオ」は「主権者」「偉大な権力者」といった、社会的地位を表す人称代名詞のような語句として使われており、ラオ人は当時自分たちのことを「タイ」と呼んでいた。

その後、ラーンサーン王国を属国として統治し始めたシャム(現在のタイ)人は、自分たち(シャム人)と他人(ラオ人)を区別するために、彼らを「タイ」とせず、軽蔑の意味を込めて「ラオ」と呼んだ。

ラオ人には、古くから高い社会的地位にある人を意味する「ラオ」を誇りとする感情があったので、「タイ」を棄て、誇りをもって「ラオ」を名乗り始めた。

参考:『変容する東南アジア社会―民族・宗教・文化の動態

これを整理すると、以下のようになります。

  • ラオ(Lao):元々「主権者」「偉大な権力者」といった、高い社会的地位にある人の意
    ⇒自分たちの呼び名にしていく
    (現在、英語の「Lao」は、ラオ族、ラオ語、ラオスの、といった意味を持つ(Laotianも同じ))
  • ラオス(Laos):元々は「ラオ」の複数形で、フランス人がつけた呼び名
    ⇒国名に(正式名称は「ラオス人民民主共和国」)

なお、ラオス語では、「ラオ(Lao)」と「ラオス(Laos)」の区別はありません。どちらも、「ラーオ(ລາວ/láao)」を使用します。

タイ語も同様に区別せず、「ラーオ(ลาว/laao)」を使用します。



『ラオス語』『ラオ語』の元々の意味

ビエンチャン/ヴィエンチャン(ラオス)を走るトゥクトゥクビエンチャン/ヴィエンチャン(ラオス)を走るトゥクトゥク
  • ラオ語:ラオ族の言語の意
  • ラオス語:ラオスの公用語のため、ラオス国語の意

ここでは、話を分かりやすくするために、以降は、特に区別が必要な場合を除き、「ラオス語」を統一して使っていきます。
(「ラオ語」を使っている場合は、「ラオ族の言語」という趣旨を強調したい、とご理解ください)

ラオス語のことは、ラオス語で『パーサー ラーオ(ພາສາລາວ/pháasǎa láao)』と言います。

タイ語でラオス語のことも、同じく『パーサー ラーオ(ภาษาลาว/phaasǎa laao)』です。

子音・母音の音は同じですが、声調が違うことが分かります。



ラオ語の話される地域・話者人口

ラオ語の話される地域

・ラオス国内ほぼ全域(元々はメコン川とその支流の流域平地部)
・タイ(東北タイ/イサーン地方)

ラオ語の話者人口

・ラオス国内の人口:約600万人
・タイ語東北タイ方言(イサーン方言)の話し手:約2,400万人
⇒合算すると約3,000万人

出所:『ニューエクスプレス ラオス語』p.9

タイ東北部(イサーン)地域で話される方言
≒ラオス語の方言の一つ

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タイ東北部の名称「イサーン(イーサーン)/Isan」の由来

タイ東北部(イサーン)のピマーイ遺跡(ナコンラーチャシーマー県)タイ東北部(イサーン)のピマーイ遺跡(ナコンラーチャシーマー県)

タイの東北部は、「イサーン」と呼ばれています。

「イサーン(อีสาน)」とは、シヴァ神を意味するサンスクリット語「イーシャーナ(ईशान/īśāna)」のタイ語訛り音です。

イーシャーナは、日本語では「伊舎那天(いざなてん、いしゃなてん)」とも訳されます。

パーリ語で、この「伊舎那天(いざなてん、いしゃなてん)」を表す語は、「īsāna(イーサーナ)」です。

タイ東北部「イサーン」・ラオスの歴史を紐解く

タイ東北部(イサーン)のパーテーム国立公園(ウボンラーチャターニー県)から見たメコン川(タイとラオスとの国境)タイ東北部(イサーン)のパーテーム国立公園(ウボンラーチャターニー県)から見たメコン川(タイとラオスとの国境)

現在のラオス・タイ東北部(イサーン)に位置していた「ラーンサーン王国」の建国から、時系列に整理してみたいと思います。

ラーンサーン王国の建国から、勢力拡大期(16世紀中ごろ)まで

1353年

ラオ族最初の統一王朝である、『ラーンサーン王国』がファーグム王により建国される。

※タイではほぼ同じ時期(1351年)に、ウートーン王によりアユタヤ王朝が建国される。

※ラオ族は11世紀ごろ現ラオスの地に移動し定住し始めたと言われている。

※ラオ族はラオスの地に14世紀に建国された「ラーンサーン王国」の中心となった民族。

ラーンサーンは「百万頭の象」の意。
(タイ語では、ラーン(ล้าน/百万)チャーン(ช้าง/象)と呼ばれる)

16世紀中ごろ

ポーティサララート王(在位1520-47)、セタティラート王(在位1548-71)の時代にラーンサーン王国の勢力は強大に。

人口が増加し、コラート高原(現東北タイ)やチャムパーサック(現ラオス南部)までラオ族の世界が拡大。




ビエンチャンへの遷都から黄金期を経て、統一王朝の分裂(1707年)まで

1560年

ルアンパバーンからビエンチャンに遷都。

1569年

ビルマによりアユタヤ陥落(第一次)。

ビルマによるアユタヤ侵攻時、ラーンサーン王はアユタヤに援軍を派遣(ラーンサーン王国とアユタヤ王朝は同盟関係にあった)。

ビエンチャンも一時占領されるも長続きせず。

17世紀

スリニャウォンサー王の時代にラーンサーン王国の黄金期を迎える。

1707年

ラーンサーン王国は、ルアンパバーン王国とビエンチャン王国の2国に分裂。

1713年

チャムパーサック王国も成立し、ラオ族の統一王朝は、ルアンパバーン王国・ビエンチャン王国・チャムパーサック王国の3国に分裂。



シャム(現タイ)の支配・反乱・フランス統治

1779年

3王国ともシャム(タイ)の支配下に。

※タイでは1767年にアユタヤ王朝が滅亡、1767~1782年までタークシン王によるトンブリー王朝ができるも、ラーマ1世により1782年にラタナコーシン王朝(現王朝)が興される。

1827年

ビエンチャン国王アヌ王によるシャムへの反乱(ラーマ3世期)
シャムは都を略奪し徹底的に破壊。ビエンチャンは廃墟となり、ビエンチャン王国は完全に消滅。

1893年7月

フランスが軍艦2隻をチャオプラヤ川河口に派遣するパークナム事件が発生

1893年10月

フランス・シャム条約が締結され、メコン河東岸がフランス領となる。

ラオ族は、フランスのラオス植民地化を契機に、メコン河をはさんで西側のシャム(現在のタイ東北部)領と東側のフランス領(現在のラオス)とに分断された。

1894年

シャムのラーマ5世による地方行政改革(中央集権制へ)
地域名から「ラオ」を削除し、タイ風に命名し直した。

後に、この地域のラオ人は「イサーン」人と呼ばれ、シャム政府による「イサーン」統治が推進される。

1975年12月

王制廃止、ラオス人民民主共和国成立(社会主義国家に)



さいごに|ラオスに関するおすすめの書籍と参考文献

ラオスに関するおすすめの書籍

歴史を知りたい方に(第3章がおすすめ)
ラオス語を一から勉強したい方に
ラオスについて知りたい方に

参考文献

高岡正信他「第3章 近くて遠い隣人 ―タイ・ラオ民族間関係の歴史的展開―」加藤剛編『変容する東南アジア社会―民族・宗教・文化の動態』めこん、pp.93-140(2004年)

菊池陽子他編『ラオスを知るための60章』明石書店(2010年)

鈴木玲子『ニューエクスプレス ラオス語』白水社、pp.9-27(2010年)

林行夫「2 「ラオ」人社会はどこにあるか」『ラオ人社会の宗教と文化変容―東北タイの地域・宗教社会誌』京都大学学術出版会、pp.37-80(2000年)

鈴木玲子「ラオ文字」河野六郎他編『言語学大辞典(別巻)世界文字辞典』三省堂、pp.1068-1075(2001年)

三谷恭之「ラオ語」亀井孝他編『言語学大辞典 (第4巻)世界言語編(下-2)』三省堂、pp.655-656(1989年)